毒にも薬にもならずただじっとしている

読んだ後に何も残らない、を提供していきたい

現代人は文字に飢えている

と、勝手に思っている。

私がそうだからだ。

 

現代人は、と括ってしまうのは、主語が大きくなりすぎだとも思うけど、

だいたいざっくりの括りだということをご容赦いただきたい。

 

本題に入ると、最近はスマホの普及率が極端に高い今、みんなが手軽にSNSを利用できるようになった。

TwitterInstagramか、はたまたfacebookmastodonか、その差はあるだろうけど、だいたいが自身の好きなことを好きなように投稿して、それを誰かが見る。

その逆もしかりで、自分は気に入った人をフォローしてその人の投稿をわざわざ見に行く。

SNS自体はコミュニケーションツールかもしれないが、

好き好んで、どこぞの誰かの投稿を読んで、コメントやいいねを残し、一喜一憂して帰っていく。

そして、自分の投稿に寄せられたどこぞの誰かのコメントやいいねを見て、これまた謎だが一喜一憂はては怒りや情緒掻き乱されを経験して、また次の日にはそれを忘れて繰り返す。

 

地獄の完成である。

 

そう、みんなわかっている。

SNSは疲れると。

見ても承認欲求の塊お化けがわんさかいて、かつ自分の承認欲求は地味に満たされない。

そこにこだわって残っていても何も得るものはないと。

けど、次の日になると、やっぱり今日はいいことあるかも、満たされるかも、となんらかの期待をしてSNSを覗かずにはいられない。

この心理はギャンブル依存に似ているかもしれない。

明日は勝てる、勝てなくても負けた分は取り返せる、どちらかと言えばマイナスだけどいつもより惜しかったし必勝法が思いついたから良しとしよう、etc。

 

ここまでわかっててなんでやめられないのか。

ギャンブル依存症については、あくまで似ている例として挙げただけなので、ここで何か持論を述べたかったわけでも、したり顔で通説を語りたかったわけでもない。

(その点だけご留意いただけると助かります。

依存傾向にある方は素人判断は厳禁の専門の機関による診療と、知識とその他継続したケアの必要な症例であるので、適切な機関に相談してくださいね。)

(と、誰にも怒られないようにと思考が先回りしてしまって、謎の配慮文を食い込ませてしまうあたり、私も随分とSNS炎上に毒されてしまっている)

 

先の問いに戻ると、なんで見えている地獄に片足突っ込ませてしまうのか、単純に文字を読みたいと欲しているからなのではないだろうか?

と考えたわけである。

 

みんな経験していることを思い出してほしいのだが、

仕事やら何やらで資料をたくさん読んだり会議した日や、友達・家族とたくさん会話したりLINEした日は、疲れてSNSを開く時間が少なくならないだろうか?

 

「え?そんなことない?」→そうか…。

「ちょっと当てはまるかも?けど、それって単に物理的に疲れただけであって、文字のやり取りが多かったことに満足したわけではないよね?」→そうかもしれない…。

「そういうのをこじつけって言うんだよね」→すみませんでした…。

 

見える…。

いろんな角度から指摘されるのが見えるぞ。

何を書いても配慮が足りないと言われそうで怖い。

最近、冗談でもなんでもなく、本当に「言いたいことが言えないこんな世の中」になってしまった感がある。

(※個人の感想です。)

 

ただ、個人的に自分がSNSを覗くときの状況を観察した結果、なんらかの意味があるが、書いてある内容はそれほど難しくなくて、一眼通せば理解できるくらいの短文をぱらぱら読む、という行為が非常に心地良いと感じる気がする。

そしてそれは、外部とのコミュニケーションが不足している時に最もしたくなる行為であるように感じた。

 

人と話したい、誰かと分かち合いたい、それは根源的な欲求かもしれない。

そして直接のコミュニケーションができずとも間接的コミュニケーション、つまり文字を通したコミュニケーション方法を確立した現代人は、その根源的欲求が満たされない時に代替欲求として文字を欲するようにしたんじゃないだろうか。

 

だって好きな人と一対一でおいしいごはん食べて、「幸せだね♡」ってやってる時は、SNSなんか開く必要はないもの。

と、そこまで思って、ハッとした。

その瞬間(綺麗な夜景が見える席で、シャンパングラス2つと上品なフレンチが乗ったお皿が2セット見切れていて、かつテーブルの上には彼氏からもらったであろう指輪がさりげなく置かれている)を写真で切り取り、

あえて「ここのディナー、変わらない味でお気に入り。毎回ゆったりと過ごさせていただいてます。 #何気ない日常に感謝」などと説明文を書き、彼氏から指環をもらった私幸せアピールを暗にする人たちがSNSには何万人もいるのだった。

 

そうね、私の考察はただの私の場合の話でしたね。

やっぱりSNSは難しい。

明日からはSNSを開きたくなったら、お菓子とかなんらかの商品パッケージ裏の原材料名とか書いてある部分を30回くらい繰り返し読んで、この文字の飢えに対応しようかな。

「その時間を使って資格試験の勉強して資格取得するといいですよ!」とか「本を読んで教養を増やすと考え方変わりますよ!」とか、

いろんな声が聞こえてくる(被害妄想)けど、わかっちゃいるけどそれがすんなりできたら苦労しないのよね…。