妊娠して初めて知る地味にツラいこと
現在私は一般的に妊娠後期と呼ばれる時期にあるのだが、妊娠するまで知らなかった不調というものを毎日しみじみ感じている。何かの折に「妊婦の方はこういう体調不良や症状がありますよ」というのは読み知ったり聞きかじったりはしていたけれど、いざ実体験してみると、やはり『理解』はしていなかったのだなと感じる。
そこで今後自分が今の実体験を忘れてしまわないように、備忘録として私の「妊娠して初めて知った地味にツラいこと」を文章に残しておこうと思う。
その①
妊娠後期になると食べ物が美味しく食べれない。
まずはこれかな。いや、食べられるんですよ?けどめちゃくちゃ少量じゃないと、その数時間後に逆流性食道炎のような症状が次々と襲ってきて食後がとにかく気持ち悪い。具体的にはとめどないげっぷ、喉が焼けるような不快感、胃酸がちょっと上がってくる、食後3時間以上経過しているのに一向に消化が進んでいない感があり横になると胃がムカムカする、それでもそのまま無理矢理寝ると夜中に前述の喉が焼けるような不快感とか呑酸で目が覚める、などだ。こんな時いつも藁をも縋る気持ちでネットですぐに「妊娠中 逆流性食道炎 対策」などで検索してしまうが、そうなってしまってからできる対策はほぼない。そしてそういう検索で出てくるサイトでは決して「胃薬を飲め」とは書かれていない。(これは現在私調べによると100%だ)そんなこんなで気休めに消化不良に良いとされるツボを押している。
その②
ずっと下腹部の筋肉痛のような症状が続く。
下腹部というとピンとこないだろうけど、要するに女性器付近(子宮の下あたり〜骨盤の中とか足の付け根あたりの広範囲の筋肉と思ってくれれば)の筋肉がずっと筋肉痛だ。これの何がツラいのかと言われると、日常生活の体勢を変える動作がいちいち痛くてのろくなる。寝てる体勢から起き上がる時に「いてて…」、立ち上がる時や座る時・車に乗る時に都度「いてて…」、これを日中仕事をしていると8時間も経つともう疲労感MAXだ。いざ家に帰ろうと立ち上がってとぼとぼ歩いていると、本当に牛歩の如し歩みの遅さとなる。健康体の皆さん、道をゆっくり歩いてるのは、タラタラ歩いているわけではなく、本当にその速さじゃないとツラいという人もいるのです。
一般的にはこの痛みは恥骨痛と呼ばれているが、恥骨痛と聞いてこんな症状を想像できるのは体験した人くらいだと思う。
その③
胎動が24時間続くことによる内臓の気持ち悪さ。
これが一番複雑な気持ちで過ごしている。というのも、胎動がよく感じられているということは、胎児がすくすく育っている証拠なので、非常に喜ばしいことなのだ。「元気に育っているな」と感じられるということに勝るものはない。ただ、である。母体側からすると、内臓側からボディブローを浴び続けているわけで、一回一回の胎動の影響は大したことなくても、それが24時間定期的に続くので、蓄積されたボディーブロー疲労で夜になる頃にはもう気持ち悪い。
「そうは言ってもそんな強い衝撃じゃないでしょ?」と、皆様思うかもしれない。それがそうでもないんですよ。胎動って一言で言っても、いろんな動きがあってですね、胎児の手足がドン、ドンと単発で動くものもあれば、子宮の中でぬるぬるぬろ〜っと体勢移動する連発ものもあって、妊娠後期にはお腹の外側から動いているのがはっきりわかるのですよ。妊娠中期の頃は胎児の大きさがまだそこまで大きくないので、外から見ても動きがわかることはなかった(私の場合はわからなかった)のですが、後期に入るとどんどん動きが力強くなる。本来人間の骨って内臓を外側からの衝撃から守るために肋骨とか骨盤とか配置されてる訳で、内臓側からの衝撃に備えたつくりにはなってないと思うんですよね。
その④
無気力になる。
これはまた違ったベクトルの話だが、今までは休日になったら、「お出掛けしたいな」とか「◯◯したいな」とか、色々楽しみを感じていたのだが、妊娠中期〜後期にかけて、どんどん気力が減退してきているのを感じる。ストーリーのある本を読むのが苦痛になってきたり、ドラマや映画を観るのも「今はいいかな」と先送りでずっと観ていない。たまに夫が観て面白いよと勧められて観ることもあるが、一緒ならまだ観られる。けれど途中で「じゃあ続きは1人のときに観なよ」と言われると、観られない。今家にいる時は、地上波のニュースかYouTubeでオモコロチャンネルをエンドレスで流している。(オモコロのおかげでなんとか気を狂わせないで済んでいるので、本当に感謝している)ゲームや娯楽についても同様で、楽しむ心がすり減っている。「この無気力状態で過ごすのって、胎教的に良くないのでは?!」と思って無理矢理にでも本を読んだり音楽を聴いたりもしてみるけど、世の妊婦の方々が楽しんで妊娠期間を過ごしているというポジティブの極みニュースなどを見ると「それに比べて私は…」と落ち込むこと多数。わかるんです、皆それぞれ違うし、比べることでもないって。それでも一喜一憂しては幸せホルモンと呼ばれるセロトニンを増やすツボとか押して騙し騙し今日も生きているのです。情緒不安定でもなんとか1日1日を平穏無事に赤ちゃんを育ててるんだと言い聞かせて生きているのです。側から見て妊婦の方たちがこんな思いで妊娠生活を送っていたなんて、知らなかったよ…。
ひとまず思いついた4つ、今現時点での私の感じる妊娠して地味にツラいことを、今日は記録してみた。本当に思いついた通り書いたので、キリも悪く4つになってしまったが、また思い出した時にでも書こうと思う。同じ思いをしている人がこれを見て少しでも共感して心が軽くなったらいいな。
こういうこと話せる友達がいたらいいのにね
唐突だが、この度子どもを産むことになった。名前はまだない。
現在妊娠5か月のいわゆる安定期という期間の最中である。私にも妊娠初期にはそれなりのつわりや体調不良、ニオイに過敏になり後輩の体臭が苦手になりすぎて(心の中で)ブチ切れるなんて時期もあった。それにしてもいざこれから赤子を産むぞ!という決意は持てずにいる。こんなことを言うと良識ある大人からはさぞお叱りを受けるのだろうけども、人間の股からもう1人の命が出てくる大事件、怖くないわけがない。痛みはもちろんだが、日々刻々と大きくなる胸、じわじわと張り続けるお腹、やたらと近くなるトイレ、毎日なんらかのステータス異常を誘発する体、そしてどんどんなくなる体力。自分の体が急激に自分の意思とは無関係に変化していくのに、できることはただ産まれるのを待つのみ。これが恐怖でなくてなんだと言うのか。
よく女性は妊娠すると母性がどうとか聞くが、今の状態で母性を話題に出されても全然ピンとこない。
もちろん子どもを産むこと自体は自分で望んだことなので、後悔は一切ないし、無事に生まれてきて、すくすく育ってくれさえすれば良いとも思っている。この子にとって少しでも善き親になれるように努力もするが、過干渉にもならないように、かつ世の中のことや社会に出て一人前に生きていけるくらいのことを教えてあげたいとも思う。(自分が現在一社会人として真っ当に生きられているのか、という疑問はひとまず置いておいて…)
けどそれは母性というより、一般的な人間心理だろう。女性も男性もない。一体母性はいつ生じるのか。母性が芽生えたら出産も怖く無くなるのか。それはつまりアドレナリンが放出されすぎてランナーズハイのような状態になるようなものなのか。こんなに手探りで生きるのはいつぶりだろう。
Official髭男dismの歌の中に、「10年後にはキャストが増えているんだろうけど〜」という詩があるが、数ヶ月後に人1人増えている想像すらできない。出産に限らず、仕事の関係で数ヶ月後には全然違う環境に身を置いたり、急に恋人ができて結婚同棲したり、人生何があるかわからないよな〜などと言って自分の気持ちを宥めてみるが、まだまだこの不安とは付き合うことになりそうだ。
今日も一日お疲れ様でした。
突然だけど、どこかに行きたい。でもどこに行ったらいいかわからない。そんな時、あるよね?
そんな時のライフハック!…なんてものはなくて、でも自分の機嫌は自分でとらなきゃ…。聞き分けよく、仕事でも文句もこぼさず淡々と業務をこなし、嫌な相手ともひたすら低姿勢で笑顔で接し、友人・家族にも愚痴をこぼさず、なんなら相手の愚痴を延々と聴き、飲食店で周りの席はラストオーダーを聞かれているのに自分の席だけラストオーダーを聞かれなくても、家に帰ってやっと1人くつろぎタイムだとお風呂に浸かった瞬間に裏手の家から3歳児くらいのギャン泣きがお風呂場を響き渡っても、ここ1ヶ月近くもはや食欲がわかず食べる量は減ってるはずなのに全く痩せる気配もなく、私の人生は一体なんなのかと怒りたくなるけど実際に怒る元気はなく、「頼むから、頼むからもうやめてくれ…」みたいな気持ちになるけど、かと言って何がしたいのか、どこに行きたいのか、もはや迷走から抜け出す術もみつからず、こんな虚無感を抱えながら、社会人ってやつはよ…生きてかなきゃならないんだもんな…。こんなん情緒不安定になるし、自律神経もイカれますわ。それでも誰のせいにもせず1人パフェ食って布団潜って涙流して静かに眠る私偉くない?(怒)(突然の情緒ぶっ壊れのためお赦しください)
きっと同じ思いを抱えている同志がいると思うけど、お互いよくがんばってるよな!えらいよな!私たち!(号泣)そんな同志たちに週末は気持ちが軽くなるような良いことが起こりますように…。
歌詞を考える
らふぃおらという歌がある。
悲しみに満ちる世界、
心まで消えそうな時、
優しい言葉よ、胸に届け、どうか笑って
こんな優しい歌詞があるだろうk、いやない。(食い気味)
誰にでも落ち込むことや失敗することがある。そんな時自分を責める言葉や攻撃的な意見に飲まれて余計に落ち込むことも往々にしてある。そんな時にはこの歌を聴いて、あたたかい言葉に救われる心がきっとあるよ。この歌を聴くとそう言われているような気がして何度も聞いてしまう。いい歌です。
(ゴールデンボンバー『ラフィオラ(Life is alright)』)
歌詞繋がりで、翳りゆく部屋という歌がある。
ランプを灯せば街は沈み、
窓には部屋が映る。
冷たい壁に耳をあてて
靴音を追いかけた。
こんな文学的な歌詞があるd…いやない。(食ってる)
夕暮れ時に、電気もまだついてない部屋にいたんですね。少し気まずい雰囲気の恋人といて、沈黙が怖くて、でも言葉にしたらこの関係は終わってしまうだろうとお互いにわかってる状況で、日は沈んでいく。そうすると窓のそとの家々には灯りが灯ってどんどん空は暗くなっていく、反対側に部屋の中では、相手の表情のない顔が窓に反射してくっきりしてくる。程なくして相手は部屋を出たんでしょうね。部屋の外、きっと集合住宅なんでしょう、冷たい鉄筋コンクリートのマンションの廊下をコツコツと去っていく相手の靴音が響いていくのを、部屋の中から壁伝いに音を聞いている。いや追いかけたいんだよ?本当は。けど簡単に部屋を出て引き止めて止められるような別れじゃないんでしょうね、引き止めても無駄なのかもしれない、最初から間違いだったのかもしれない、それは2人にしかわからない関係だったんでしょう。だから名残惜しくて、あなたの最後の靴音だけでも聞かずにはいられない、追わずにはいられないんだよ。
これを2行で表現してるんだもの、こんなの天才の歌詞ですよね。
(松任谷由美『翳りゆく部屋』)
さらに歌詞繋がりで思い出したんですけどね、小名浜という歌(ラップ)があるんですね。
中学卒業も更正院
数年後には準構成員
旅立ちまるで小名浜のカモメ
行ったり来たりが歩幅なのかもね
くじけた背中を洗うソープ嬢
泡と流す殺気立つ毒を
私はほとんどラップの曲を聞いたことがないのだけど、この小名浜だけはずっと記憶に残ってて、例えるとショートムービーを見ているような歌なのです。だいぶ荒んだ家庭に育ち、不良から暴力団関係の道に進み、そんな環境を抜け出そうとするんだけど、この曲全体をどんよりした曇り空が覆っているような感覚。韻を踏んでるとかそういう技巧的なものの凄さというより、狭い閉ざされた世界で、必死にその時自分が選べる最善の選択肢を選んで前に進もうとしてきたけど、何年経っても堂々巡り。3歩進んで2歩下がるならまだしも、同じ場所を行ったり来たり、人を信じてまた裏切られ、諦めてるのに希望が捨てきれない、何度もあがいてやり直そうとしてはまた道を逸れ、順風満帆な人の歩幅と比べると、理解はされないかもしれない。そんな自分の人生の歩幅をようやく自分で受け入れそうだ。その様子が故郷小名浜のいつもの空を揺れるように飛ぶカモメとリンクする。しかもこのカモメのシーン、準構成員として逮捕されて刑務所から帰ってきて再出発だって門出なのに、すぐにソープ嬢との場面に切り替わる。リアルだ。作り物のドラマとは訳が違う。ソープ嬢がくじけた身体と一緒に今までの毒を洗い流してくれる。旅立ちを美化しすぎず、人間っぽさをそのまま歌にしたところがこの歌の良いところだと感じる。
(鬼『小名浜』)
どの歌もいい。三者三様人間らしくて好きだ。
パンケーキって食べる前が一番美味しいよね。
自分の知っている場所が一つ、また一つとなくなっていく。
自分の知っている風景が一つ、また一つ変わっていく。
それは自分の居場所がこの世の中から失われていくような感覚を覚えることだ。
自分がそこにいた思い出が地上から消えてしまうような心細さと、自分の思い出が完全に周囲から忘れ去られていく悲しさが、まるで生きながら「死」を経験しているかのような錯覚を生む。
だから、人は出来る限り自分の知ってる場所に長く残り続けてほしいと思うんだろうね。
きっとこの心細さと寂しさに対抗するには、変わった先の未来の場所にも自分の思い出を作る他ない。その思い出がさらに未来の居場所になるだろうからね。
なんと寂しい生き物だろうね。
三日坊主の壁
何かに手をつけた時、長続きしなかったことを三日坊主で終わったと、人は考える。逆に考えるんだ、三日で終わっていい、三日続いたなら御の字である、と。
私はとにかく三日坊主が多い。このブログも然り。「料理ちょっとがんばろうかな」とか考えて買ったレシピブックは本当に3品くらいしか作ってない。「今日からスキンケアがんばろう」と思って半身浴を始めて次の日には「時代はSDGs、毎日お湯を溜めるのはECOじゃない」とか言い出してシャワーを浴びた。(三日坊主ですらなかった)
しかし三日坊主のことを悪く言うのはやめていただきたい。皆多かれ少なかれ、三日坊主で終わってしまうことなんて良くあることだろう。その度に「あーまた三日坊主になっちゃったな」とネガティブに考えていては1年の半分くらいはネガティブになってしまう。そこで、三日坊主さんのことは逆にポジティブに捉えようと思う。そうすれば1年の内32ヶ月くらいはポジティブ時間を過ごせると言うものだ。
良く言えば、フットワーク軽くほいほいと物事を始め、損切りの判断も早いということだ。フットワークが軽いというのは人生にとってかなり大事な点だ。英語のことわざにも「ローリングストーンに苔は生えない」とある。イギリスではネガティブな意味で使われるこのことわざもアメリカ圏内では良い意味で使われたりもするので、まさに三日坊主という言葉も逆にフッ軽の意味が定着する日が来るかもしれない。
ということでブログ内容もこれくらいコンパクトで締めて次のことをしよう。決して「書いてみたけど、やっぱりそこまで書くことなかったな」と言うわけではない。
今年の目標達成
これは私のくだらない目標なのだけれど、毎年最低1つは新しいことをするようにしている。
その新しいことは何でもよくて、大体今までは資格を取るとか行ったことのない場所に行くとかが多い。そのため、最低1つとは言いつつも、調子の良い時は毎月新しいことをしていることもある。
しかし今年はいつにも増して些細な新しいこと稼ぎをしている。そんな中でも今年一のささやか新しいことと言えば、カラコンを付ける、だ。さすがにささやかすぎだろう。
ちょっと反省の意も込めて、先日、翻訳家の柴田元幸先生のオンライン朗読会なるものに初めて参加した。(これならささやかすぎることはないだろうと胸を撫で下ろす。)
ちなみにこれだ↓(なんと毎月開催しているようだ!)
https://tegamisha.com/news/news-1530/
柴田元幸さんと言えば、アメリカ文学の専門家で、私も大学生時代に読んだアメリカ文学作品の記憶に残っているほとんどが柴田先生の翻訳だった。
中でもポール・オースターの『幽霊たち』を読んだ当時、柴田先生はまだ東大准教授という肩書きだった。(よくよく考えると、その時持ってた本も初版の頃は准教授だったのだろうけど、私がそれを手にした時にはもうとっくに教授になってたんだろうな)それが今はどうだろう。朗読会のことを聞き知って少しネットで調べてみたら、今や東大名誉教授なのね…。名誉教授がまだ日本に入ってきてない出来立てほやほやの最新アメリカ文学作品を、朗読会で読んでくれるという、なんと贅沢な時間なのか。そう思って告知の開催日はいつかな?と目を滑らせると、なんと2日後だった。これは参加しなさいという啓示に他ならぬ。私は嬉々として参加の申し込みをした。
会は1時間の予定だったから、どんな作品を読むのか?作品全部じゃなくて一部抜粋とかなのかな?とか、質問コーナーもあるけど、住む世界が違いすぎて何を聞いたらいいんだ…好きな食べ物とか?とか、色々考えて考えてしてたが、始まってしまうとそんな心配は全く必要なかった。
参加者は私を含めて40人程で、zoom慣れしてるのか、殆どの方が画面オフで柴田先生を進行を聞き静かに参加していた。時たま柴田先生からの問いかけにチャットで色々答える場面もあったが、終始柴田先生と出版社担当の方のペースが心地よく、1時間はあっという間に過ぎていった。
朗読は短編を2作品と、今まさに翻訳作業中の絵本の1冊概要紹介をしてくれた。参加者からも朗読した作品に関する質問がちらほらとチャットで上がったが、それにもさらさらと回答してくれた。なんだか、大学の講義を思い出す時間だった。
初の参加だったこともあり、意気込んでカラコンを付けて臨んだのに、ひよって顔出しもせず質問もできず、なんなら紹介してくれた絵本がすごく自分好みで発売されたら購入しようと思ったのにタイトルと作者名を覚え損ねるという失態をかました私だが、来月も懲りずに参加しようと思った。また、懐かしくなって、図書館で柴田先生訳のポール・オースターの『ムーン・パレス』を借りてきた。気分は夏休み(普通に仕事だが)なので、読んで読書感想文でも書こうかな。